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う諺が伝え残されることとなった。そしてイ族の老人が都から帰る時建文はドラを一つ土産に贈った。そしてタイマツ祭りになるとこのドラを叩いて壮厳な音をたて、踊りのリズムを強く刻み、タイマツを振りまわして踊った。このようにしてニス・ロウの生活の中にドラ踊りが今日まで伝え残されることとなった。

タイマツ祭りの儀礼次第

毎年六月、前年に定めておいた頭人の家(訳注−いわゆる頭屋)がタイマツ用の樹を準備する。その樹は高くて八丈にも及ぶ真っすぐな青松で、皮を削ざ、斧で沢山切れ目を作りそれぞれに小さい楔状の松の小木を來み込んだものである。牝牛一匹、山羊五、六匹を買い入れ、タイマツ祭りの準備をする。
旧暦六月二十三日者柯哨村四郷のイ族の人たちが各家に一人ずつ(男性のみ)が殺牛山に集り、貝碼(訳注−一標の宗教職能者)と古老が祭祀を執り行う。稲、松枝、青棡栗の枝で小さな祭壇を作り、その傍らにまた青棡栗の枝を刺し、また四方に線香を八卦の形に立て並べる。香炉に米(一升)、塩漬けの干し肉、塩、酒を入れた杯などを置き貝碼が祭祀の経を念じた後、牛を引っ張り出して祭壇の周りを一巡りさせ、坂牛競技(訳注−我が国の綱引きと同趣旨とのこと)を行う°これに参加する者は一般に茶花篝方面と半城山方面の二方面の村々からそれぞれ四〜六人ずつ選ばれた屈強の男たちである°競技が始まると一勢に牛を持ち上げて自車側に引っ張りあい。どっち側に引っ張り倒したかによって勝負を決める。勝った方面の村々は風雨順調で万事意の如く平安がもたらされることになる。競技が終ると殺牛となる。牛の肉は、生のままのもの、煮たも

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神迎えのため殺牛山で供犠をする披牛の儀式

 

のと両方作り、腿肉などを削ぎ取って串刺しにして各家々に配布し、その他はくだいて鍋に煮て食べる。各家々は持参してきた米、酒それに煮た肉を並べてバーベキュー風な食事をこの山上でする。この宴席で頭屋は各家々の者に酒をついで敬意を表し、彼らが本年の頭屋であることを示す。また同時に古老、祭祀の主宰者、ドラ踊りのリーダー、貝碼、それに古歌の歌い手たちに深甚の敬意を表して酒を勧める。これらの人々に祭りの期間中の協力を仰ぎ、また神の加議を願い、さらにロウの者たちがこの伝統祭祀の期間吉祥であることを願うのである。
二十四日は喜鵲鳥娘の受難の日であり、彼女をお祀りするのみで娯楽行事は一切ない。各家々では家の中、庭を掃除し客を迎える(他所に嫁に行った娘違は皆、二十四日前後に父母の家に帰ってタイマツ祭りを過す)。夜になって各家の入口、家畜小屋の軒先それぞれに二、三本ずつ線香を立て神の守護を祈る。
二十五日の夜、各村々ではタイマツを灯して集り、まず貝碼、頭屋などが古歌を歌う。その歌の内容は、火の神を拝して迎え、先祖の創世、歴史を語ったもの。歌い手は手に稲と簀鶏鳥の尾羽根を持つ。そしてドラ踊りが

 

 

 

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